比較政治学会 分科会
「現代福祉国家論における『政治』
― 1970年代以降の方法の変遷 ―」
(2008年6月22日)
報告要旨



 本報告の目的は、1970年代以降の福祉国家論の方法的変遷を、「政治」認識を中心にふり返り、今日における福祉国家の政治学研究の課題について考えることである。

 1980年代半ば以降、福祉国家の比較研究が急速に進展してきた。その方法的特徴は、福祉国家を経済・社会「構造」に還元する議論を批判し、その形成・変容過程における「政治」的要素を強調することであった。ただし、これらの研究では、「政治」的変数を実証的に特定可能なものとするために、「政治」そのものを限定して把握する傾向があった。

 「福祉国家の危機」が語られはじめる1970年代に、福祉国家を総体として認識する理論を提供したのは、さまざまな社会理論であった。ネオ・マルクス主義は資本主義下の階級「構造」による福祉国家の「相対的」「規定性」を主題とし、ドイツ批判理論は政治・経済・社会のサブ・システム間の「矛盾」として(オッフェ)、あるいは「システム」による「生活世界の植民地化」から帰結する「正統化の危機」として(ハバーマス)、福祉国家の危機を説明しようとした。さらにフーコーの影響を受けたフランスの論者は、「リスク」統御を目的とした社会的規律装置の一つとして福祉国家をとらえた(F. エヴァルト)。これらは、狭義の国家を超えて社会経済領域に拡散した「構造としての権力」を分析対象とし、それへの批判や抵抗に新たな「政治」的契機を見出そうとする試みであったと言うことができる。それらは同時代における政治学の対象拡大とも呼応していたが、具体的な制度分析や対抗戦略の構築には、十分な貢献を行えなかった。

 1980年代に入ると、オイルショック以降の各国経済・社会政策の分岐を背景として、「構造」への問いが背後に退き、国家を中心とする「制度」を実証的に比較分析することが研究の主流となる(T. スコチポルの「国家中心アプローチ」)。これ以降の福祉国家研究では、「制度」の自律性がいわば与件とされ、その枠内で「政治的」要素が抽出される。具体的には以下の要素があげられる。@歴史的な制度的遺制の下での福祉国家形成に向けた労使階級政党の議会戦略(W. コルピ、エスピン=アンデルセンなどの権力資源動員論)。A既存の制度枠内における統治エリートの福祉縮減戦略(P. ピアソン、G. ボノーリなどの新制度論)。Bグローバル化・ポスト工業化(情報・サービス化)という新たな経済環境への「適応」戦略としての統治エリートによる「言説」「アイディア」を用いた制度変革(V. シュミット、P. ホールなどの言説政治論)。

 ただし、このように@福祉国家の形成→A持続→B縮減へと対象が移行するにつれて、福祉国家の比較政治研究には、方法上のパラドクスがもたらされている。新たな経済環境の下で、「制度」の自律性が掘り崩され、福祉国家の変容が環境「適応」のプロセスとして見なされるとすれば、たとえ統治エリートのイニシアティヴや戦略が強調されようとも、「政治」の採りうる選択の幅は、きわめて限定されたものにすぎなくなる。すなわち「政治」とは、環境「適応」に向けた技術的な巧拙、あるいは時間的な遅速を示すにとどまることになる。

 福祉国家の政治学研究が今後も有意なものでありつづけるためには、「構造」を所与として「制度」とアクターの相互関係を考察するだけでなく、「構造」と「制度」・アクターとの相互関係を視野に含める必要がある。すなわち、今日の経済・社会「構造」を批判的に認識し、それを変革する可能性を含んだ「政治」像を構築し、その上に福祉国家の変容を分析し、評価する枠組みが作られなければならない。この作業は、理論的には、1970年代の批判的社会理論を再評価し、その理論的含意を80年代以降の政治経済学と結びつけ、発展させる、という試みを意味することになるだろう。

 報告では、以上のような問題意識に基づいて、1970年代から今日までの福祉国家論の変遷を検討する。